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「しんかい6500」の老朽化問題をめぐる報道に寄せて、ほんとうに伝えたいこと

「しんかい6500」の今後を報じた記事をめぐって昨夜、論争が巻き起こった。問題になったのは8月11日の夕方にデジタル版が公開され、翌12日の朝刊にも掲載された朝日新聞の記事だ。一体なにが起こったのか、事実はどうなのか、整理してみたい。

ことの発端は4月にさかのぼる

問題の記事は、「しんかい6500」を含む深海探査システムについて、文部科学省が8月1日に今後の方針を発表したことを受けて公開された。有識者の発言として名前を挙げて掲載されたコメントに対して、名前を挙げられたご本人が「発言を切り取って全く異なる文脈で使われたと理解している」と声を上げたのだ。その方の発言を過去に議事録で読み、大変な感銘を受けていたわたしは、記事に書かれている内容にそれはもう驚いた。

どうしてこんなことに……。本題に入る前に、そもそもの背景を振り返っておきたい。この話を進めるうえで避けては通れないのが、2024年4月にSNSへ投稿されたポストだろう。その趣旨は、初潜航から30年以上が経ち寿命が近づく有人潜水調査船「しんかい6500」の後継機をつくる技術が日本にはもうありません、というものだ。この投稿は大きな衝撃をともなって拡散され、8月12日現在で1009万件以上も表示されている。

これをきっかけに、日本の深海研究の象徴的存在でもある「しんかい6500」をとりまく厳しい現状が取り沙汰され、大手メディアも関心を寄せたのではないかと思っている。このSNS投稿の情報ソースは「深海探査システム委員会」の配布資料であり、この会議での発言の報じ方こそが今回の問題の中心だ。

深海探査システム委員会とは?

まず、「深海探査システム委員会」とは何か。四方を海に囲まれた島国・日本として、深海探査のあり方をどのように考え、必要な探査システムをどう次代に繋いでいくかを検討するために設置された組織だ。「しんかい6500」の後を継ぐ有人潜水調査船の建造については、「しんかい12000」計画を経て2016年度にも議論されている。その流れも引き継いで、2023年4月に策定された国の海洋政策に基づいてあらたに設置された。

設置された委員会は「しんかい6500」を所有するJAMSTECの理事をはじめ、「しんかい6500」に搭乗経験のある研究者、造船に精通する技術者など、10名の有識者で構成されている。2023年11月から有識者間の意見交換、さまざまな分野の専門家を招いてのヒアリングなどをおこない、そこでの意見を報告書にまとめる立場にある。

この報告書を受け取るのが、「深海探査システム委員会」の上部組織である「海洋開発分科会」。どちらも文部科学省の中にあり、報告書を受けて決定した方針に基づいて省内の次年度予算案を作成し、国へ概算要求をおこなう流れだ。

委員会がまとめた報告書は

委員会では第1回会合の時点で「しんかい6500」とその母船「よこすか」の寿命について、JAMSTECの河野理事が次のように発言している。

「しんかい6500」の耐圧殻には耐えられる目安があります。これまでの頻度で考えると、一番肝心な耐圧殻の部分は、あと10年は保ちそうです。周辺の救難装置等の部品調達ができなくなっているので、そこを解決すればもう少し使える可能性はあります。

 母船のほうは、流石に時代遅れすぎという感じはします。現状を申し上げますと「よこすか」はダイナミックポジショニングシステムが非常に脆弱なため、「しんかい6500」を降ろす運用はキャプテンの神業に頼る他ない状態です。また、海が少しでも荒れると潜れないという話につながっていくので、こちらは長く延命することは難しいと思っています。

JAMSTEC 河野 健理事/深海探査システム委員会(第1回)議事録

キャプテンの神業があって「しんかい6500」が母船「よこすか」から降ろされ無事に着水。その刹那、研究者たちが湧き上がる場面を想像すると泣けてくる。

こうした現状や、深海探査における国内外の動向などを踏まえて、①今後の深海探査システムに必要な能力、②①の実現にどのような研究開発が必要か③体制や人材育成、アウトリーチの3つの観点に加え、有人潜水調査システムの継続運用を論点に盛り込み、検討がスタートした。

以降、本格的な議論が進む中での有人潜水調査船(HOV)、無人探査機(ROV、AUV)それぞれの有用性が、さまざまな立場の研究者から語られた。HOVは「いつか自分がそこに行けるかもしれない」と身近なものとして感じてもらう上で重要という意見、自身の研究には不可欠との強い声、「8,000mくらいでパキッとこれまで聞いたことない音がした」1万メートルまで行けるアメリカの潜水船よりずっと素晴らしいとする経験譚、耐圧穀は後継機に流用するのが得策ではとする案、自身の研究分野では無人探査機がより有用だとする立場、現状4,500メートルまでしか行けないAUVではHOVに何かあったときにレスキューできないので、より深くまで行けるROVが必要だとする視点……。

有人、無人、それぞれの利点が挙げられた。これらの意見を踏まえて、委員会がまとめた報告書の一部がこちら。1枚に分かりやすくまとめられた箇所を抜粋した。

出典:海洋開発分科会(第72回)配付資料,P34

6,500メートル級までの深海を切れ目なく調査・研究するため、として「しんかい6500」と母船「よこすか」の延命が最優先事項。その次にフルデプス級(*)の無人探査機の開発、委員会で意見のあった24時間観測を実現する母船の開発の順になっている。(*)深海の最深部を指す

「6,500メートル級までの深海を切れ目なく調査・研究する」必要性についてはおそらく、ヒアリングで委員会に招かれた名古屋大学の道林 克禎教授の以下の提言がもとになっていると考えられる。

フルデプス開発に時間を費やして「しんかい6500」が廃船になる方がよっぽどマイナスであるということです。「しんかい6500」を無くして、そこにギャップをつくるのは最悪、最低です。それで我々は一気に、いろいろな意味で、最先端の海洋底研究から後塵になることは間違いないので、その辺りはきちんと現行を維持しつつアップグレードすると考えてほしいと思います。

名古屋大学 道林 克禎教授/深海探査システム委員会(第3回)議事録

問題の箇所を検証してみた

ところが、である。この報告書を受けて決定した方針は、無人探査機の開発を最優先にするというものだった。この決定には、JAMSTECの現役研究者として「しんかい6500」最多搭乗記録を持つ高井研氏も第一報を引用するかたちで疑問を呈した。

海洋開発分科会が検討をおこなった8月1日の第72回会合でどのような議論があってのことなのか、議事録がまだ出ていない今の段階では客観的に知ることはできない。問題の記事は、有識者の発言がこのような結論へと導いたかのように書き、校閲で事実関係をしっかり確認することなく公開したことが問題だったと感じている。

実際にどの部分が問題になっているのか。それはおもにこの2箇所だろう。

後の深海調査の方針を議論する文科省の有識者会議で委員を務める国立科学博物館の谷健一郎研究主幹は「現状でもまずい状態。早期の老朽化対策が必要だが、延命治療しても使えるのかというのが現場が感じている危機感だ」と訴える。※8月13日 午前1時ごろ削除済み

 名古屋大の道林克禎教授(地質学)は文科省の有識者会議で、「EEZに超深海をもつ日本にとって探査機の有用性は高い。有人機の開発に時間を費やしている間に、しんかい6500が廃船になるのはマイナス。現状を維持しつつ、フルデプスの無人探査機を開発してほしい」と要望した。

朝日新聞デジタル「しんかい6500老朽化「延命治療しても…」 無人機開発優先へ」

議事録は5月の時点で開催済みだった4回分を2度通読、6月開催の第5回会合は傍聴していた。このような発言がなかったことは明らかだったが、念のため5回分すべてにあらためて目を通した。声を上げた谷さんご本人がSNSで指摘していたが、おそらくこのあたりの発言がなにがどうなってか誤認されたのだろう。少し長くなるが、中略することなくブロックで引用したい。

先ほど河野委員がおっしゃってくださったのですが、僕は先月「よこすか」、「しんかい6500」の調査航海に行っておりました。その具体的なことは申し上げられないのですが、かなり「しんかい6500」の安全な運航に関わるところに老朽化が進んでいるというのは、現場の人間としてひしひしと感じておりまして、実際そういう調査航海が実施できるかどうかが本当に危ぶまれる状態です。もちろん現状でもかなりまずい状態ですので早期の老朽化対策が必要なのですが、先ほど河野委員がおっしゃったように、これは延命工事をしてあと十何年と使えるような状態ではないというのは、多分現場の人間の共通した意見だと思います。ですので、やはりその危機感が伝わるような書き方が必要だなと思います。

国立科学博物館 谷 健一郎研究主幹/深海探査システム委員会(第5回)議事録

この発言の文脈は、第4回までの議論を踏まえて事務局がとりまとめた報告書案へのフィードバックという点にある。報告書案の書きぶりだと、延命措置をとれば設計上の推定寿命である2040年代まであと20年ほど使えるとの印象を与えることから、こないだ乗ってきたばかりの肌感をリアルに伝える意見だったと解釈している。延命したらあと20年、なんてとんでもない!という現場の共通意見がなぜか、延命したところで使えるのかと現場は疑問に感じていると変換されている。

そして道林克禎教授の発言は、先に引用した箇所が該当するだろう。そこも含めて、あらためてひと続きで引用する。

これまでの海洋底調査から思うことは、私は、有人潜水船はフルデプスでなくてよいと思っております。その理由は、「Limiting Factor」の技術者が、9,000m以深の水圧で何が起こるか分からないと言ったことです。8,000m級までは良いのだけれども、9,000mを超えた水圧になると、本当にリスクが高いと言われました。なので、フルデプス対応の探査機を造っても、リスクの高い超深海潜航なんて怖いと思います。それであれば、現行の6,500mでも良い。実は、有人潜水船は6,500mくらいがちょうど良い深さなのだろうなと思います。実際、日本は1,000回に迫るくらい潜航しているわけですから。ただ、研究者としては、8,000m級まで行けると本当に素晴らしいと思います。ちなみに「Limiting Factor」は、日本の危険率からすると、8,700mまでしか行けないのです。だから、9,000m以深はリスクが高いというのはそのとおりかと思います。
 ここで強調したいことは、フルデプス開発に時間を費やして「しんかい6500」が廃船になる方がよっぽどマイナスであるということです。「しんかい6500」を無くして、そこにギャップをつくるのは最悪、最低です。それで我々は一気に、いろいろな意味で、最先端の海洋底研究から後塵になることは間違いないので、その辺りはきちんと現行を維持しつつアップグレードすると考えてほしいと思います。

名古屋大学 道林 克禎教授/深海探査システム委員会(第3回)議事録

“フルデプス開発に時間を費やして”の前には、こんな一説があったのだ。朝日新聞の記事では「有人機の開発に時間を費やしている間に」となっているが、前段から読むと道林教授の言う“フルデプス開発”とは無人探査機のことだと理解できるだろう。有人潜水船はフルデプスでなくていい、実際にアメリカのフルデプス有人潜水船に乗った経験から9,000m以深はリスクが高すぎるだろうとおっしゃっている。また、「しんかい6500」を維持しながらアップデート、つまり最終的に有人潜水調査船で8,000メートルくらいまで行けるようになったらいいよね、と言っているように受け取れる。

また、冒頭の部分はおそらくこの発言から切り出したと推測できる。

 一方で、先ほど日野委員もおっしゃったように、AUV、ROVといった、とにかくマリアナ海溝、チャレンジャー海淵に行けるようなフルデプス対応の探査機はもともとあったので、その後に技術開発を失ったなどあるかもしれませんが、行ったことがあるのに行けなくなったというのは駄目だと思います。そんな言い訳では一般の人たちが納得するとは思えない。何しろ我が国は超深海のEEZを持っており、日本の有利性は高いので、フルデプスにアクセスできる探査機を開発してほしいなと思います。以上です。

名古屋大学 道林 克禎教授/深海探査システム委員会(第3回)議事録

もともとあったフルデプス対応の無人探査機とは、過去に運用していた初代「かいこう」のことだ。マリアナ海溝でカイコウオオソコエビを採取するなどして活躍したが、2003年の南海トラフ調査でケーブルが断線し、ビークル(子機)を亡失。以降、代替わりを経て現在の4代目は4,500メートル級まで後退している。有人潜水調査船とは別軸で、「過去にあったフルデプス無人探査機を復活させようよ。何せEEZ内に超深海を持つ日本なんだから!」とのご意見であり、有人潜水船<無人探査機の議論ではないと理解している。

フラッグシップとしての有人潜水船

なぜこのようなことが起きたのかは、書いた記者さんにしか分からないし、糾弾するつもりもない。わたしがこの記事を書いたのはひとえに、発言された先生方の真意がどこにあったのかを明らかにしたかったからだ。

冒頭で、今回の記事に異を唱えた谷氏の委員会での発言に大変な感銘を受けたと書いた。昨年12月に開催された会合で、このようにおっしゃったのだ。

有人潜水船というのは海洋研究とか深海探査のアイコン的な存在であることを、僕たち博物館で一般の方々と接している身としては日々感じています。宇宙探査も同じだと思うのですが、いつか自分がそこに行けるかもしれないという夢は、一般の方からの関心を得て、身近なものとして感じてもらう上で非常に重要ではないかと思っています。

国立科学博物館 谷 健一郎研究主幹/深海探査システム委員会(第2回)議事録

「しんかい6500」に乗る側の研究者が集まる委員会の場で、一般市民の目線から意見を述べてくださったのは谷氏がはじめてだったと記憶している。心の底から共感した。船があって、乗る人、動かす人がいなければどうにもならない。研究というのは一代で結実するものではない。深海研究を受け継いでくれる子どもたちが憧れなければ、船はただのモノでしかいられないのだ。仮面ライダーを見てヒーローになりたいと願ったように、宇宙兄弟を読んで宇宙飛行士に憧れるように。象徴的なアイコンがあるからこそ、途切れることなく続いていく。

そして、委員会で多くの研究者が必要性を訴えたように、研究の現場で他には替えられない戦力を実際に持っている。まだまだ未知だらけの深海を照らし人類を引っ張っていってくれるフラッグシップ的なアイコンであり、優秀な探査機器でもある「しんかい6500」が次世代に受け継がれていくよう、これからも深海に興味を持つ一般人のひとりとして必要性を訴えていきたい。

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コメント

    • 審議会を傍聴していた者です
    • 2024.08.15 2:17pm

    「前段から読むと道林教授の言う“フルデプス開発”とは無人探査機のことだと理解できるだろう」とありますが、ここは道林教授に確認したうえで書いていますか? 小職も傍聴しておりましたが、議事録のとおり、道林教授は「Limiting Factorの技術者は9,000mを超えた水圧になると、本当にリスクが高いと言っていた」とおっしゃっていました。ここでいう「リスクが高い」とは、人命に関わるという意味です。実際、道林教授は続けて「フルデプス対応の探査機を造っても、リスクの高い超深海潜航なんて怖いと思う」と発言されました。フルデプス対応の有人探査機をつくっても、乗っている人が怖く感じる、つまり人が乗るのはリスクが高い、とおっしゃっているのです。そう考えると、「フルデプス対応の探査機」とは、有人の探査機を指していることは議事録からも明らかです。朝日の訂正記事を読むと、「谷研究主幹以外の専門家の方の発言部分については、ご本人の趣旨通りであることを確認しました」とあります。道林教授にも発言を確認し、この表現を残しているのでしょう。メディアを名乗るのであれば道林教授にきちんと確認したうえで、訂正してください。

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