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イカに沸いたカニの町。ダイオウイカ解剖に見た夢

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カニの聖地がイカに沸いた。

兵庫県北部にある美方郡香美町。町内の香住漁港で水揚げされる、香住ガニがよく知られている。シーズンが到来すると「かにカニ日帰りエクスプレス」という名の特別列車が走り、絶品のカニを求めて冬の日本海に人々が押し寄せる。そんなカニの聖地・香美町でおこなわれた、ダイオウイカの解剖イベント。なにかしらの歴史に残りそうな1日をレポートする。

地元民とマニアが交錯する朝8時

11月23日、朝8時すぎ。会場となった香美町立ジオパークと海の文化館には、多くの人が集まっていた。地元の子どもたちと、遠くは九州や関東甲信越など、日本各地から集結した行動力あふれるイカマニア、深海生物マニアたちが交錯する。なにか化学反応が起きそうな組み合わせだ。

玄関前には、すでに今日の主役が横たわっているようだった。作業台の上にビニールシートがかけられているが、あまりに巨大なその身体を隠しきれていない。というか、触腕と呼ばれる一対の長いウデがまる見えである。

「ちょっとめくってみようよ」…わたしの中に棲む無邪気な子どもがささやく。いいや、いけない。ダイオウ様はきっと、わたしたちのおこないを見ている。すべてを見透かしているような目が印象的な、有名な映像が頭をよぎった。シートの下で目玉がギョロリとこちらを向いた気がして、やめておいた。

イベントはほぼ定刻に、ダイオウイカを発見・捕獲した兵庫県立香住高等学校の紹介からはじまった。水産業に携わる人員を育成するための専門教育をおこなう水産高校の役割を担う、海洋科学科を持つ高校だ。農林水産省によると全国に46ある水産高校に、8700人ほどが在籍している。これは全高校生の約0.2%にあたる。

ダイオウイカの第一発見者として、解剖イベント当日のニュースでひっぱりだこだった同校2年生の藤井君はイカが好きとのこと。0.2%の中の、さらにイカ好きに引き揚げられたのは運命だろうか。なお、藤井君は将来、養殖業に就きたいそうだ。

続いては解剖を指揮する島根大学の広橋教授によるレクチャー。「ダイオウイカの生態と日本海漂着の謎に迫る!」とのお題に沿って、易しい言葉で子どもたちに語りかける。

「ダイオウイカの敵は何でしょうか。誰か知ってる?」
「マッコウクジラ!」
「すばらしい!」

広橋教授と地元の子どもたちとのコールアンドレスポンス。ユーモアが散りばめられた話に聞き入る子どもたちと、「身体の中の構造はスーパーで売ってるイカもダイオウイカも一緒」だと聞いて「へぇー!」という顔をする大人たち。

しかし、みんなどこか、ソワソワしているように思えるのは気のせいだろうか。コートが必要ないほど気温が上がっている外では、ダイオウイカが汁を滴らせて解剖の時を待っていた。

美しくこぼれ落ちるイカ汁を浴びて

同日10時15分。レクチャールームいっぱいに集まった70人以上が、全長6.5mものダイオウイカを乗せた作業台を取り囲む。もう待ちきれないとばかりにボルテージを上げていく子どもたち。記録用だろうか、頭上をドローンが飛ぶ中、ついにビニールシートがめくられた。

大きな歓声に包まれるかと思いきや、喉の奥から絞り出したような声があちこちから上がる。大多数が、あまりの大きさに圧倒されているようだ。そう言うわたしも、どこに焦点をあてればいいやらで目が泳ぎ、「ぅわぁ….」と漏らすのが精一杯だった。

前のめりだった子どもたちは、たじろぎ、親にすがりついて困惑の表情を浮かべ、大人たちは静かにシャッター音を響かせた。場が、圧倒的すぎる存在感にひととき支配される。しかし子どもたちの適応力はダイオウ様の支配を超えていく。「どうぞ触ってみてください」そう促す広橋教授が言い終わらぬうちに、白い身体にたくさんの手が触れる。身体の割にヒレが小さいように見えるが、冷凍と解凍を経て薄い部分が萎縮したのだろうか。

「ダイオウイカに触れる機会は一生に1回か2回、あるかないか」と話した広橋教授。貴重なお触りタイムは、たっぷりと時間が取られた。子どもたちに混じって触ってみると、手袋ごしに肉厚な弾力を感じる。「ブニブニしてるー!」素直な感想を口にする男児は、まさに今「新鮮な体験をしている!」という顔をしていた。切り開いてしまえば、この姿は二度と見られない。心残りがないかが確認され、いよいよ解剖がスタートした。

外套膜、つまりイカの胴体のスソから刃物が入る。輪切りになって煮込まれたり、米を詰められたりする筒状の部分だ。べらぼうにブ厚い皮膚が開かれ、ヒレの先まですっかり二分されると大量のイカ汁が流出。美しい螺旋を描き、作業台の端からこぼれ落ちた。

ダイオウイカという巨大生物が与えたインパクト

外套膜の裏はワイン色をしていた。これは、色素胞と呼ばれる細胞によるもの。皮膚と同じようにワイン色をした薄い膜を破ると、巨大な身体の中にみちみちと詰まった内臓が姿をあらわす。卵巣があることから、メスの個体だと判明した。

これは輸卵管、これは胃、これはエラ心臓。どんな役割なのかを解説しながら広橋教授が取り上げた内臓は、助手を務める学生たちがプラスチックのトレーに分けてゆく。そのひとつひとつを熱心に写真に撮る女の子がいた。その熱量は並大抵ではない。「好きなの?」と聞くと、「うん!香住高校に行きたい!」と小学5年生だという彼女はハッキリと答える。

なんて頼もしいのだろう。漁港のある町で暮らす子どもにとって、海の生き物はきっと、珍しい存在ではない。それでも、こんな巨大生物に出合うのは稀なこと。これから何にでもなれる子どもの人生に与えたインパクトは、計り知れない。

彼らは今日の経験を、どんなふうに感じているのだろう。ダイオウイカを、まだ知られざる海の生き物を研究したいと思った子が、この中にどれくらいいるだろう。5年後10年後の楽しみが増えたなぁと思い耽るその隣で、テレビクルーの取材を受けるイカマニアがいた。「今日はどちらから?」「東京です」。間髪いれず「東京!?」と声を裏返す子どもたち。

微笑ましい思い出の中に、はるばる東京から見にくる価値のあることが地元で起こっていたのだという確かな爪痕を残したのではないだろうか。この子たちもいずれ、ダイオウイカに触れる機会を求めて日本じゅうを大移動するようになるかもしれない。

解剖が終わったあとも研究は続く

解剖が始まってからおよそ40分。墨袋や、カラストンビと呼ばれるくちばしなど、ほぼすべての部位が取りはずされ、ダイオウイカはぺたんこになっていた。

取り出したイカ墨で習字ができるというので、ひとしきり取材を終えて列に並んだ。反射率が低そうな墨を含んで筆を滑らせると、もったりとした粘度があった。書きごたえがあり、潮の匂いがぷんと漂う。比較として置かれていたソデイカの墨を試してみると、こちらはさらりと薄い。より深く暗いところに棲むダイオウイカの方が、墨が濃いとは意外だった。

さて、この貴重な墨で何を書こうか。
ここはやはり…

間違えた。

◇ ◇

ダイオウ様が見せた夢は、4時間近くに渡った。解剖イベントは終わったが、ダイオウイカの生態を解き明かそうとする試みは終わらない。内臓や肉の一部は広橋教授が研究室に持ち帰り、胃の内容物などを調べるというし、他の研究機関からやってきた先生にも試料として分けられた。「食べられたものではない」と評判のダイオウイカ肉を、なんとか美味しく食べられないか挑戦しようとしている学生がいるとも聞いている。

それぞれに行き先が決まったダイオウイカの身体はすっかり片付けられ、正午を過ぎた会場は何ごともなかったように、元の姿へと戻っていた。すでに人びとは散り散りになっている。さっきまですごいものを見ていたはずなのに、あれは一体なんだったんだろう?

本当に夢でも見ていたんじゃ…そんなフワフワとした気持ちで、鉄路で帰るイカマニアたちを見送るべくやってきた香住駅。ダイオウイカのカケラが入ったクーラーボックスを抱えた一団が、改札を小走りで通り過ぎていった。

ダイオウイカのふしぎに迫ろうとする人がいるかぎり、フカメディアはそれを追い続ける。


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