世界最高峰の海と地球の研究機関である海洋研究開発機構(以下、JAMSTEC)が保有する有人潜水調査船「しんかい6500」がオーバーホール中だという情報が入ったのは、年が明けてしばらく経ったころだった。
オーバーホールってあの、バラバラにしてメンテナンスするやつ?「しんかい6500」がバラバラ?そんなの見たいに決まっている。ダメ元で取材を申し込んだら、「いいよ」とお返事が来たので、作業がおこなわれているJAMSTEC横須賀本部にやってきた。

フカブカ〜!……この光景を守衛のおじさんはどんな気持ちで見ていたのだろう。
「しんかい6500」のおうちに潜入
正門からまっすぐ歩いた桟橋の目の前。潜水調査船整備場と書かれた金属プレートがついている、天井の高そうな建屋が「しんかい6500」のおうちだ。ピシャリと閉じられたシャッターの向こうから感じる、なんらかの作業の気配に胸の高鳴りを禁じ得ない。なお、中は撮影禁止となる。

中のようすは豊かなる各自の妄想力でなんとか補っていただけますか。よろしくお願いします。
素直にカメラをしまって整備場の中に入るとすぐに、あられもない姿の「しんかい6500」が目に入ってきた。なんということ、耐圧殻(たいあつこく)がまる見えになっている。耐圧殻とはパイロットや研究者が搭乗する球状の居住空間。深海のすさまじい水圧に耐えられるチタン合金でつくられた、いわば“命のゆりかご”だ。
ふだん写真や映像で見る時には白い外装パネルで覆われたその要の部分が、むき出しになっている光景から目が離せない。JAMSTECのロゴをつけた黄色い尾翼も取り外されて脇のコンテナ上にちょこんと置かれているものだから、真四角のコンテナ6500がこの世に生み出されている。かわいい。この尾翼をつけたらなんでも、「なんとか6500」と呼びたくなるものが生まれるんじゃないか。

外装パネルをまとった状態の「しんかい6500」。船体右下に耐圧殻の覗き窓が見える。
こうしたオーバーホールは、年に1度おこなっている「中間検査工事」なのだとJAMSTEC研究プラットフォーム運用部門の大美賀忍さんが教えてくれる。毎年バラしてたんだ!例年11月末ごろからメンテナンスに入り、3月中旬に予定されている試験潜航に向けてみっちり組まれた工程に沿って毎週月曜から土曜まで100日ほどかけて仕上げるのだとか。
真っ暗で冷たい、深い海に人を乗せて落ちていく特殊オブ特殊な船だけど、定期的な検査はあらゆる船を広くカバーしている船舶安全法に基づいて実施されている。
神戸が生んだ浮力材パズラー
整備場の中では4、5人ほどが作業にあたっていて、絶えず機械の動作音や金属音が響いている。天井のクレーンが忙しそうに行ったり来たりして、茶色いものを吊り下げ頭上を飛び越えていった。あのレンガみたいな大きい塊も「しんかい6500」のパーツだろうか。塊がクレーンから降ろされるのを見届け、大美賀さんの方を向き直す。
「浮力材です。スキマ、スキマに詰めて浮力を得ています。これは海外製より比重が軽い日本製で、造船当時はすごく高価でした。風呂桶にいっぱいくらいの量で家が一軒買えたとか……。もう国内では作られていなくて、今は海外製しかありません」
行きは重り(バラスト)を積んだ船の自重で降下。帰りはバラストを外し、小さなガラス球をエポキシ樹脂で固めた総重量約7トンもの浮力材から浮力を得て海面へ浮上する。メンテナンスのためいったん取り外された浮力材が、作業を終えた箇所から元の位置に戻されているところだった。

さまざまな装備、搭載物のスキマというスキマに浮力材が詰められている
(出典:https://www.jamstec.go.jp/shinkai6500/system/)
ふとコンテナ6500の方に目をやると、壁際に背の高い網パレットが何台も置かれていて、そのどれにも浮力材がたくさん詰まっている。大きさもカタチも、さまざまな浮力材のすべてに大きく数字が書かれているのが見える。もしかしてこれ、7トン分の浮力材パズルってこと?
「位置が決まってるんです。すべて頭に入っている整備員がいますし、ぜんぶ写真に撮っています。それでも組み上げ途中で分からなくなったりするんですよ。写真で確認したりしますが難儀しているので、3D化した資料を作らないと、って話をしています」
深海界隈に存在した伝説のパズラーは、今まさに目の前で作業をしている方だった。ここにいる技術者のみなさんは、「しんかい6500」をつくった三菱重工業 神戸造船所から長期出張で来ているのだそうだ。兵庫県民の筆者、誇らしくてたまらない。
もしパズラーの頭の中を具現化した3D資料ができた時には、そのデータから「水に浮く!しんかい6500浮力材パズル」を商品化してほしい。
たった3つの搭乗枠
整備が終わったら、おうちの前にある桟橋から深海潜水調査船支援母船「よこすか」に積み込まれて試験潜航に出発する。まずは近くで水深5メートル、この時には整備をした三菱重工の技術者の方々も乗り込んで問題がないかチェックされる。
クリアすれば次は相模湾や駿河湾など、ちょっと深いところで約1,000メートル。その次は南下して約3,000メートルと深度を増しながら潜航を繰り返し、最終的には日本海溝周辺で約6,500メートルまで潜っての試験を経て研究航海の現場に戻ってくる。この年に1度の試験潜航は安全の担保だけでなく、若いパイロットたちの実践の場としても大事な位置にある。
「ワンマンパイロットにシステムを変えてから、まだ資格を持っていない若手が育たなくなっちゃった。5回潜らないとコパイロットになれないのですが、そういう若手にとって1年に1回の機会になってるんです」
コパイロットとは、飛行機でいう副操縦士でパイロットの補佐役を担う。造船当時は定員3名の耐圧殻に、パイロット・コパイロット・研究者が1名ずつ乗り合わせるシステムだったが、2016年度の定期検査工事でワンマンパイロットでの運用ができるよう改修された。
深海を見つめる研究者の目が増えることは大事だけれど、パイロットの後進育成も欠かせない。耐圧殻に用意された、たった3つの搭乗枠はあまりに貴重で、「一般人が乗る機会もぜひ」とは軽々しく言えなくなる。「しんかい6500」の活躍は、おそらく膨大な量の調整と、携わる人々の悲喜こもごもが支えているのだろう。
今年は3月21日に試験潜航へ出発したという「しんかい6500」と「よこすか」。すでに試験を終えて帰港し、2025年度の研究航海に出発した様子が伝わってきている。わたしたちがなかなか覗き見ることができない直径2メートルの球状空間には、ロマンと聞きごたえに満ちたエピソードが詰まっていた。
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